COLUMUN
『忍耐・克己・百折不屈について』
おはようございます。
大会開催にあたり、ご尽力いただきました坪井実行委員長、
並びにスタッフの皆様、本当にありがとうございます。
(開会式時にお伝えするのを忘れておりました。
この場をお借りしてお詫び申し上げます。)
本日も心のあり方についてのお話をさせていただきます。
今年は主にテコンドー精神についてのお話をさせていただいております。
前回までで廉恥までお話させていただきました。
今年も皆さんとお話しできる機会が新人戦のみとなりましたので
今日は残りの3 つ、忍耐・克己・百折不屈についてのお話をさせていただきます。
皆さんはテコンドー精神をご存知でしょうか?
子供の方は馴染みが薄いかも知れません。
大人の方は白帯の昇級審査時に暗記されたかと思います。
では知っているとしてあなたはテコンドー精神を実践できますか?
知っていると出来るは全く別物です。
知っている上で経験を積まなければ出来るにはなりません。
私は皆さんに出来るようになって欲しいと思っています。
そのためにお話をさせていただきます。
まずは忍耐について。
言葉の意味は分かると思います。耐え忍ぶことです。
では何に耐えるのでしょうか?
『毎日大変な思いをして生活しています』などの声は当然あると思います。
しかしそれは皆同じことです。
今日試合で痛い思いをするかもしれませんがそれに耐えることも忍耐と言えます。
しかし私としてはどうせなら自分の生き方や人生を高めるために
何に耐えるべきなのかを提案したいと思っています。
何に耐えるべきなのか?それは”相手を受け入れること”です。
子供の方はよく分からないと思います。
なので相手を受け入れていない状態をご説明いたします。
それは『なんじゃこいつは』『なんでこの人こうなの』『腹立つ~』などの状態です。
つまり相手を否定している状態です。
この状態を少し深堀させていただきます。
皆さんはこの状態の時に相手に『こうあって欲しい』という基準を持っています。
その基準に対して大きく外れている行為に対して不快に思っています。
更に言いますと相手に『こうあって欲しい』という姿に変わって欲しいと
相手に求めている状態です。
しかし残念ながら相手は変わりません。
力を持った人は無理やり相手を変えにかかったりします。
大声を出したり権力を振りかざしたり。
しかしそのように変えたとしてもほんの一時の事であり、
長い目で見ればこのような行いをされる方はもっと大きな何かを失うことになります。
相手は変わらないと理解するとどうなるか。それは自分を変えるしかないと言う事です。
相手はそのままで良いと受け入れることです。
忍耐とは”自分を変えよう”と思えるまでのことです。
それまでの憤りに耐えることです。
自分を変えることは思ったより簡単に出来る場合もあれば時間のかかるものもあります。
例えばモノの見方を変えることも一つの手段です。
一方でどうしても状況を変えるために
本当の実力を身に付けなければならない時もあります。
これは一日二日では実現できません。
時間がかかるものに対しては人間は尻込みをしてしまうものですが、
それでも自分を変えようと思ってください。
そう思えた時に人は前に進むことができます。
そうあるべきです。
次の克己と百折不屈についてはサラッと行きましょう。
克己とは自分に打ち勝つ(克つ)心のことです。
ではどんな”自分”に打ち勝つべきなのでしょうか?
”弱気になっている自分”でしょうか。
それも良いかと思います。
しかし私は自分を高める上で最も打ち勝ってほしい自分を提案させていただきます。
それは”相手のことを悪く見ようとしている自分”に
打ち勝ってほしいというものです。
相手を悪いとすることは裏返せば自分を良いとすることでもあります。
そしてそれが進むと過度なものとなります。
行き過ぎた正義は相手を傷付けることになります。
そうなるべきではありません。
最後に百折不屈についてのお話です。
これは簡単にご説明すると
何度厳しい状況に立たされても挫けずに前に進むことを言います。
では皆さんがどうあるべきなのか?
私はテコンドーが好きでテコンドーに携わっております。
しかしながら嫌なことの連続です。
気持ちよくテコンドーをやれている時期などほんの一時です。
常々何かしら問題を抱えています。
しかしこのようなことは誰でも同じことだと思います。
長くやっていれば色々とあるものです。
そういった中でどうあるべきなのか?
それは”続けること”です。好きであれば続けるべきです。
その一言に尽きます。
何か相談事があれば何でも仰ってください。
どんなことでも真摯に対応させていただきます。
私からは以上です。
ありがとうございました。
2024年9月15日
(社)日本ITF テコンドー協会理事長岸玄二
第30 回岐阜県テコンドー選手権大会にて
『必要な心について』
おはようございます。
本大会の開催にあたり、ご尽力いただきました大竹実行委員長、
並びにスタッフの皆様、 お忙しい中ご協力いただきまして本当にありがとうございます。
今日も心のあり方についてのお話をさせていただきます。
強いとは『あるべき姿でいること』です。
またその姿に変われることです。
そのために人 間として必要な心が 3 つあります。
一つは感謝、次に敬意、最後に反省です。
この 3 つが備わっていればあなたは大丈夫です。
一つご質問させていただきます。
今日の試合に向けて皆さんは準備をしてきましたか?
準備をしてきた方は勝っても負けても反省することができます。
特に負けた時には良い反 省が出来ることでしょう。
また次の成長に期待が持てます。
もし準備をしてこなかったらどうでしょう。
そもそも練習していないので反省することも ほとんどないでしょう。
皆さんは今日自分を試しに来ています。
試し合うから試合ですね。
この試合はあくまでもプレイヤーとして試される場ですが、
人間として試される場はいつ でしょうか?
それは上手くいない時です。
もっと分かりやすく言えばイライラしたとき、不安に思う時、 などです。
上手くいかない時に人は試され、その時の対応が人生を分けていきます。
その時に何が相手になるかと言いますと、
人を悪く見ようとしている自分自身です。
先に述べた通り、試される場において準備が無い場合、反省がありません。
そのまま感情 に流されてどうなるかといいますと人を悪く言う事になります。
人のせいにするようになります。
これが不幸の始まりだと思います。
ではここで言う準備とは何でしょうか?
試合においては練習することですが人間においてはどうすることか。
これは教えていただかないと絶対に気付きません。
なので覚えてくだ さい。
それが感謝と敬意です。
”行いには心が伴う”と言います。
感謝を具体的に述べますと『ありがとう』が言えるかということです。
皆さんが困った時に誰かが助けてくれた場合、
皆さんはありがとうを言えると思います。
しかしこれは当然のことです。
差が付くところは皆さんが気付かない所です。
感謝の反対を”当たり前”と考えてください。
自分が当たり前と思っていることに感謝す ることを始めて見ましょう。
例えば子供達に対していうのであれば、
試合会場まで一人で走ってきた方はいらっしゃい ますか?
まずいないと思います。
保護者様が送り迎えをしてくれています。
しかしながら 保護者様にもやりたいことがあります。
そういった時間を割いて皆さんに費やしてくれて います。
これは当たり前ではありません。
家に帰るとご飯が出てくると思います。
これも当たり前でしょうか?
食事を用意すること はとても大変なことです。
更に保護者様は毎日飽きないように献立も考えてくれています。
皆さんに美味しく食べて欲しいからです。
まず食事を用意してくれることを当たり前と思 わないこと、
そして美味しいと思ったのであれば黙って食事をするのではなく、
そのこと を作ってくれた方に伝えてください。
次に敬意ですがこれは最も大事なことは返事です。
”ハイ”と言えるかどうかです。
更に加 えるなら挨拶、総じて言いますと”受け答え”です。
テコンドーの中でも会社組織などの中でも敬意を表す行為、
例えば頭を下げるなどは行わ れています。
しかしこれは当たり前です。
差が出るところはどこかと言いますと
目下に対してもそれが出来るかどうかです。
目下の 者からすると目上の者に”ハイ”と返事されることは逆に抵抗がありますので、
必ずしも 形は返事だけではありません。
ただし総じて目下の者を大切にしているかどうか。
どこか 雑に扱っていないかどうか。
一度確認してみてください。
人として試される場は突然来ます。
明日あなたに嫌なことがあるかもしれません。
そうい った時に日頃から準備がある方は
それをまた成長の機会として何かしらに反省をするでし ょう。
反省を簡単に言えば”ごめんなさい”が言えることです。
自分をより良く変えていくことが幸せに近づくことだと思っています。
今日皆さんはメダルをとるかもしれません。
今年はワールドカップがありますのでそこで メダルをとるかもしれません。
学校に行けばテストで 100 点をとるかもしれませんし
長く テコンドーを続けていれば今日のように師範、副師範になる方もいます。
しかし声を大にして伝えたいことは、
それそのものがあなたを幸せにするわけではありま せん。
幸せにするのはいつでもあなたの心のあり方次第です。
自分自身との戦いはあなたの中で行われます。
それを外から干渉することは出来ません。
しかし戦う準備はあなたの外で行われます。
それは人とどう関わるのかということです。
この組織ではその部分においてみんなでみんなに感謝を、
上も下も関係なくみんなに敬意 を払うことをみんなでやっていきたいと思っています。
それがこの組織のあるべき姿と考え、
テコンドーを通してそれを伝えていきたいと思って おります。
ありがとうございました。
2024 年 6 月 9 日 第 28 回東海テコンドー選手権大会にて
『目的について』
おはようございます。
本大会の開催にあたりご尽力いただきました榎実行委員長、
並びにスタッフの皆様、本当 にありがとうございます。
大会を一つ開催するのはとても大変なことです。
参加される方も当たり前と思わずに
感謝の心を少しでもお持ちいただければと思います。
今日も心のあり方についてのお話をさせていただきます。
今日は根本的なところで
何のためにテコンドーをやるのかというお話をさせていただきます。
皆さんは何のためにテコンドーをやっていますか?
楽しいからでも痩せたいからでも良いと思います。
ただ一つの組織としてみんなでやっている以上、
一つの共通した目的が必要かと思います。
武道である以上、強くなるということに向き合う必要があります。
強いとは何度も伝え続 けますがあるべき姿でいることです。
そしてその姿に変わることが出来るかと言う事です。
変われるかどうか?
これが我々が向き合い続けるテーマです。
皆さんは変われますか?
常に問われていると思ってください。
今日は試合ということでとても良いチャンスです。
特に負けた時が最も変われるチャンスです。
上手くいかなかった時にその原因を自分の中に探してください。
この作業を自分と 向き合うといいます。
決して上手くいかなかった原因を相手に求めないでください。
出来れば向き合い方も何となく向き合うのではなく、
ド真剣に自分と向き合ってください。
それが出来る人は変われると思います。
では何のために変わるのか。ここが最も重要です。
皆さんでしたらやはり試合に勝つためでしょうか。
それはそれでとても良いことです。
しかし当団体のみんながみんな試合に出るかと言えばそうではありません。
むしろ試合に 出る期間と言うのは人生においては短い時間かもしれません。
この団体でテコンドーを学ぶ全ての方に素晴らしい人生を歩んでほしいと思っています。
そのために何のために変わるべきかと言いますと、
それは相手のために、相手を笑顔にするために変わって欲しいと思っています。
なぜそうするべきなのかと言われますと、
細かい説明はここではしませんがこれは『教え』 だと思って受け取ってください。
私は人間は鏡だという考え方を持っています。
相手を笑顔にするから自分も笑顔でいられます。
そういう生き方を実践して身に付けることが一番 皆さんに伝えたいことです。
では道場で何をすればよいのかを例を挙げてご説明いたします。
今若い方達が世界に挑もうと努力を続けています。
良く練習されています。
しかしながら 必ず伸び悩む時が来ます。今もそうかもしれません。
では私は指導者としてどうあるべき でしょうか?
それは私が変わる必要があるということです。
選手が伸び悩んでいるのであれば、
再び伸びるよう私が指導者として成長しなければなりません。
そうすることでまた 選手も変わります。
また選手が壁にぶつかればまた指導者が変わる必要があるということです。
指導者と練習生というものは教える立場、教わる立場であるのですが、
それ以前にお互いが変わり合う関係だということが必要だと思います。
そうでなければ発展していきません。
その先生以上、生徒以上のものは出来上がりません。
ではなぜ選手のために変われるのか?
変わるという作業はとても大変なのになぜそれが出来るのか。
それは簡単なことで相手のことを大事に思っているからです。
変わるために最も必要なことは相手を大事にするという心です。
皆さんにとって道場において大事にしやすい方というのは目下の方だと思います。
親が子を大事にするように、
上下という言い方は好きではありませんが
上の立場の方は立場が下の方を大切にするものです。
自分が上の立場になった時はどうか下の立場の方を大事にしてください。
無意識に出来るのであればそれは身についていると言えます。
出来ないのであれば自分の意思をもって意識する必要があります。
その方がかわいいからとか、かわいくないからとか、
そういったことは関係ありません。
目下の者は大事にすると自分で決めるということです。
若い時は自分の欲が大きいので自分が自分がとなるのは仕方が無いかもしれません。
しかし歳を重ねるにつれて変わっていかなければならない部分もあるかと思います。
と多くの 方が仰られます。
しかし私は若い時から相手のことを大事にする心を身に付けることが出来るなら
身に付けた方が絶対に良いと思います。
道場において相手を大事に思える、
そういう関係性を築いていって欲しいと思います。
㈳日本 ITF テコンドー協会 理事長 岸玄二
2024 年 4 月 28 日 第 9 回大阪府テコンドー選手権大会
2024 年 5 月 19 日 第 12 回三重県テコンドー選手権大会にて
『変われるかどうか』
おはようございます。
本大会の開催にあたり、
慣れない作業に四苦八苦しながらも務め上げていただきました
小島実行委員長、ならびにスタッフの皆様、本当にありがとうございます。
昨日結婚式に出席してきました。
岐阜大学の女性と愛知大学の男性、
どちらもテコンドー部に所属し、
その繋がりでお知り合いになりご結婚されました。
20年ほど学生を見させていただいていますが
こういった他大学で結婚されるケースは初めてで、
そういった出来事に関わらせていただけて本当に感謝をしております。
その際に乾杯のスピーチをさせていただきました。
そして今日もお話をさせていただくのですが、
別のテーマで 2つ話せるほど器用でも余裕もありませんので、
同じテーマでお話をさせていただきます。
強いとはあるべき姿でいることです。
そしてその姿に変われるということです。
組織を運営していても思うことは全てのものは変わっていくということ。
そしてその中で変わらない人は
楽しかったはずのこともいつしか楽しく無くなっていきます。
そういった様を見ていると
”変わる”ということは人生を楽しく生きるために必要なことと感じます。
ではどういった時に変わる必要があるのかと言いますと、
物事が上手くいかない時です。
嫌な思いをする時です。
それは大変な時とも言えます。
言葉の捉え方は様々ですが、大変とは大きく変わると書きます。
それが必要な時とも感じます。
変わる上で必要なことは、上手くいかない時、嫌な思いをする時、
なぜそうなったのか、何がいけなかったのか、
その原因や解決策を自分の中に探せるかどうかです。
この作業のことを”自分と向き合う”と言います。
これが出来る人は変わることができます。
しかしこれが難しい。
当然人のせいにして、環境のせいにした方が楽です。
また自分の悪いところなど人には知られたくない、
そう思われたくないのは当然です。
しかしながら思うことは人生を良くしていくことは
決して楽な方向ではないということです。
今日あなたは嫌な思いをするかもしれません。
試合ですから負けることもあります。
試合に負けて嫌だなと思うかどうかは分かりませんが、
もし嫌な思いがあるならば
その原因を今だけではなく過去まで遡って考えてみてください。
嫌だと思うに至った原因や解決策を自分の中に見つけてください。
そして自分が納得するまで考え抜いてください。
もし納得いく答えが見つかれば見つかった時に
もうあなたは変われています。
また前を向いて歩いていけます。
また時間が経ち、自分自身が成長できたと実感できれば、
そういった嫌な出来事にも感謝できるようになります。
その出来事があったから成長できたと思えるからです。
そうなるとまた次の困難も乗り越えられる人になります。
試合に勝つ人はカッコよく見えるかも知れません。
しかしながらそれは一時の事です。
生きていれば時には困難の連続です。
しかしどんな時も自分なりの目標を持って前向きに生きてみえる方、
そういう方を私はカッコいいと思っていますし、
自分もそうでありたいと思っています。
ありがとうございました。
2024 年 3 月 17 日
㈳日本 ITF テコンドー協会 理事長 岸玄二
第 29 回岐阜県テコンドー選手権大会にて
『武道とは』
おはようございます。
本大会の開催にあたり、ご尽力いただきました大野実行委員長、
ならびにスタッフの皆様、 本当にありがとうございます。
今年初めての大会ということで、基本的なことからお話をさせていただきます。
今日はそもそも武道とは何なのかというお話です。
武道とは元々は武術というただ相手を傷付ける術として存在したものが
傷付ける必要が無い時代、平和な時代が来るにつれてその存在意義を発展させ、
傷付けることを身に付ける以上、それを制御する精神が必要という考え方から
精神性に重きが置かれるようになります。
人間として踏み外してはいけない、
真っ当な道を歩んで行こうと言うことで『道』の 文字が付き、
武道となりました。
このように武道とは精神性に重きをおいて発展してきた 日本の文化です。
では皆さんに質問させていただくのは
皆さんはテコンドーを武道として行っていますか?
それともスポーツとして行っていますか?
あえて意思表示をしていただこうとは思いませんが、
我々は武道団体ですので武道であることに重きを置いております。
では行っていることが武道と言えるかどうかがどこで決まるのか、
それはその方に精神性 について、心のあり方について学ぶ姿勢があるかどうかです。
ここで学ぶ姿勢について考えてみましょう。
学ぶ姿勢があるかどうか、
それを分かりやすくするために私が目指している武道家の心を例にしてご説明いたします。
それは簡単に言いますと水のようになることです。
水は相手の器によってどのようにも形を変えることができます。
水は色がありませんのでどんな色にもなることができます。
そして最後に最も重要なことですが、
水はどこに行っても必要とされます。
例えば武道に色があり、青色だったとします。 あなたが黄色だったとします。
それが交わった時にどうなるかと言いますと、恐らく緑色あたりになるかと思います。
武道は青色でした。出来上がったものは武道と言えるでしょうか?
武道とは違うものが出 来上がってしまいます。
ここで言う自分の色とは『俺はこう思う』『俺の主義はこうだ』
『俺はこうがいい』という 『自分』です。
そういったものを無くし素心とも言える心のあり方で武道と向き合うことが
武道を修練す る上で最も必要なことです。
具体的に何を心がけるべきなのかと言いますと、
まず習慣として黙想を行うことです。
姿勢を正して何も見えないように目を閉じ、
心に何も無い状態を作ることです。
毎日は上手くいったりいかなかったりですが、
イライラや嬉しさなどが心に無い状態を自分で作りだす習慣を身に付けます。
また道場においては余計なものを道場に持ち込まないことです。
この余計なものとは好き、嫌いに代表される偏見です。
人間には必ず好き・嫌い、合う・ 合わないがあります。
これはどうしようもありません。
しかし道場に入り道着を来た時からそういったものを忘れ、
偏りのない人との関わりをす るべきです。
道場とは巣心で武道に向き合い、好きなテコンドーを皆で楽しむ場所です。
道着を着れば国籍、性別、年齢問わず皆がテコンドーが好きな仲間です。
武道の場では個人的な友人関係より、
全体の人間関係を大切にしていただけたらと思って います。
ありがとうございました。
2024 年 2 月 25 日
㈳日本 ITF テコンドー協会 理事長 岸玄二
第 22 回愛知県テコンドー選手権大会にて
『生きる上で最も大切なこと』
おはようございます。
まずは国内最大の大会を運営していただいています池場実行委員長、
並びに大会スタッフの皆様、本当にありがとうございます。
今日が今年最後の大会となりますが、
本日も心のあり方についてのお話をさせていただきます。
ここまで各大会で基本的なことを述べさせていただきましたが、
今日はもう少し本質的な部分で生きる上で最も大切なことについて
お話させていただきます。
最も大切なことはその人がどのような生き方をされているかにもよりますし、
一つに絞ることも難しいテーマであります。ですので、
私のお話もあくまでもご参考になればというところでお聞きいただければと思います。
まず話のきっかけとして『品格』についてのお話をいたします。
品格とは何かご存知でしょうか?
簡単に言いますとその人や物が持っている雰囲気、空気感といった理解で良いと思います。
たまに人目を引くような雰囲気を持った方もいらっしゃいますが、
こういった品格はどのように作られるかご存知でしょうか?
答えは簡単で 見えないものというものは見えないところで作られます。
簡単に言いますと人が見ていないところであなたが何をしているのか
ということが積み重なって作られていきます。
子供たちにこれは絶対にやってはいけないよということは人の悪口、陰口を言うことです。
相手がいないのに好き勝手その人のことを言うことは卑怯なことです。
そういった方にはやはりそのような空気が備わりますし、
人が見ていないところでも一生懸命に行動されている方にはそのような空気が備わります。
人間というものは隠せそうでいて隠せないものです。
このことは覚えておくと良いでしょう。
今日伝えたいことはこのことではなく、ここを切り口にお話させていただくのですが、
たまにですがこのような声を聞くことがあります。
『みんな岸先生の前では良い子です。』と。
では私の見ていない所では皆さんはどうなのでしょうか。
それを見たいわけではなく、人間誰しも相手によって自分の態度を変えることはあります。
私も少なからずあります。
ではなぜこのようになるのかと言いますと、
判断基準が『損か得か』で判断しているからです。
しかしながらこの判断基準の割合が大きくなればなるほど
良からぬ方向に行くことになります。
子供が相手の場合は問題無いと思います。
子供は裏表が無く、悲しい時は泣き、腹が立てば怒る、嬉しいと笑う、とても素直です。
しかし大人になるとそうはいきません。大人は取り繕うことがよくあります。
私を例にとりますと理事長としての私はどれだけ腹を立てていても表には出しません。
言葉のより丁寧に扱います。
理由は立場がある者の一言は受け取り側にとってより大きく受け取られます。
少しの事でも相手を傷付けてしまいますのでそうならないようにしています。
しかし相手から見ると厳しいことも言われませんのでそれで良いんだとなりがちです。
しかし本当に良いのでしょうか。
また人は置かれている状況であったり相手の状況、もしくはその人自体の変化によって
言うことはコロコロ変わるものです。
損得で動いていると基準が相手になります。
しかしながら前述の通り相手は本心を出さなかったり言うことが変わったりするものです。
そういった変化するものを基準に生きているとどこか行き詰まるものです。
また上手くいかなくなった時になぜ上手くいかないのかも分からなくなりがちです。
では何を基準にするべきなのかと言いますと、人として正しいかどうか?
自分としてあるべき姿はどうであるのか?
そういったものを基準とするべきです。
具体的には何も難しいことではありません、
自分が卑怯なことをしていないか、
嘘をついいなか、
自分だけ得をしようとしていないか、
正々堂々とやれているのか、
誰もが子供のころに教えられていることで十分です。
そういった変わることのない人間としてのあり方を基準とすることです。
そしてそれを基準とするにはそれに対応した”目的”が必要です。
人生の目的に今より少しでもマシな人間に、良い人間になることを
生きることの目的とする必要があります。
ですので皆さん明日からそのように生きていきましょう。
と言っても人は動きません。
ですので動くために考え方が必要です。
ここからが今日のお話の大事な所です。
また例え話ですが私は理事長としてこの組織を運営させていただいています。
組織を運営すれば悩むことや迷うこともあります。
そういった中で正しいであろう判断をする必要があります。
ありがちなパターンとして自分がトップに立った時に
“ようやく自分の思い通りにできる”と思ってしまい、
誤った判断をすることがあります。
誰しも誤った判断をする場合があるのですがこういった場合の背景にあるのは傲慢さです。
そうならないために自分がどのように考えているかと言いますと、
“この組織を私は預かっているだけ、もしくは授かっているだけ”
と考えるようにしています。
誰からかと言いますと大元を辿ればチェホンヒ総裁からです。
近しいところで言えば金前理事長(金師賢)からです。
私はそれを受け継いで、また次の方達へと渡すことが自分の使命となります。
そう考えることで自分がどう思えるかと言いますと、
受け継いだものを出来る限りより良いものにして次の方達にお渡ししようと思えます。
そしてそう思えるのは今の自分の番に至る前にこの組織を作られてきた方達への
“感謝”と“敬意”があるからです。
この“感謝”と“敬意”に基づいた自分を良くしていこうという思いには、
必ず正しい指針が伴います。
この正しい指針というのが前述の人間として正しいかどうか?
自分があるべき姿であるかどうか?というものです。
今日お伝えしたかった一番大切なこととは、
今の自分がある前提となるものに対して感謝と敬意を忘れないことです。
皆さんの人生においてはそれは親に当たります。
親への感謝と敬意は忘れてはいけません。
時に忘れてしまうこともあると思いますが、事あるごとに思い出してください。
それが自分を正しく良い方向へと動かしていきます。
この考え方を武道に置き換えるとそれは師弟関係になります。
武道において師弟関係とは最も重要なことです。
時に師より高い技術を得ることもあるでしょう。
しかしながらそういった時も師への感謝と敬意を忘れずに武道を続けていくことが必要です。
それを忘れた者は糸の切れた凧と同じようなものであらぬ方向に行きがちです。
人間には常に自分を良くしていこうとする意思があります。
しかしながらそれにもレベルがあります。
本当の意味で変わろうとする者もいれば態度や見た目のみを変える者もいます。
より高く、正しい方向で自分を良くしていけるように、
前述のことを忘れないことが大切なことです。
最後になりますが武道の目的は”強くなること”です。
そして”強い”とは”あるべき姿でいること”です。
私もいつかは次の方にこの組織を引き継ぎます。
そして次の方もまたその方なりにこの組織を良くしてまた次の方に引き継いでいきます。
そうして変化をしながらこの組織は続いていってほしいものですが、
いつ時代でも我々が扱う武道というものが
人間にとっての“あるべき姿”を問うものであって欲しいと願っています。
私からは以上です。
ありがとうございました。
<以下、全日本大会閉会式にて>
新人戦の開会式にてお話ししたことを簡潔に述べさせていただいた後で、
全日本ということで世界選手権に関わるお話をいたします。
先日もヘッドコーチとして日本チームを統括させていただきました。
とても良いチームだったというご意見と、そうでもなかったというご意見、
当然ですが意見は色々とあります。
私は全体を俯瞰して見させていただいた印象は
まだまだチームとして1つには慣れていないという印象でした。
どんなチームを作りたいかと言いますと、
誰かが負ければ皆で悔しい思いをし、誰かが勝てば皆で喜ぶ、
思いを共有したチームです。
ややもすれば今はライブストリーミングにて
誰もがリアルタイムで見れるようになっています。
日本中が一つになって思いを共有できるようなチームにしたいと思っています。
そういった中で日本代表になられる方に求めるものは、
日本代表になる前に自分の道場の代表になって欲しいと思っています。
道場を代表するような人間性を備えた方であって欲しいと思います。
道場中があなたを応援してくれるような人間です。
そういった方達が集まって一つのチームを作れればと思っています。
我々はそれぞれが離れた場所から1つになってチームを作ります。
なので仲が良い必要はありません。
しかしお互いが認め合っている必要はあると思います。
そうなるためには強いだけでは足りません。
人から認められる人間性も備わるようテコンドー精神、
特に礼儀を大切に自分を磨いてほしいと思います。
今日で今年の行事が全て無事終了しました。
大会スタッフの皆様、選手の皆様、保護者の皆様、
この組織に関わる全ての方達に感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
㈳日本ITF テコンドー協会理事長岸玄二
2023年11月25~26 日
第15 回全国新人戦
第16 回全日本テコンドー選手権大会第7 回全日本Jr テコンドー選手権大会にて
『強くなるには』
おはようございます。
大会開催にあたり、ご尽力いただきました野村実行委員長、
並びにスタッフの皆様、ご協力本当にありがとうございます。
本日も心のあり方についてお話させていただきます。
大会の参加が今日が初めてという方が多数見えますので、
基本的なことと少し応用の部分もお話させていただきます。
まず基本的なことで
武道おいて必要な考え方を2つ述べたいと思います。
一つは『行いには心が伴う』ということです。
我々は”整う”ということに価値を感じています。
整った行いを継続することでそういった心を身に付けようということです。
道着を正しく着ること、礼を正しく行うこと、
全ては心に整いを目的として行っています。
少し拡張して見てみると、
靴を揃えること、文字を正しく書くこと、言葉を正しく使うこと、
全てに繋がってきます。
我々が行っている習慣の意味を知っていただければと思います。
次に強いとはどういうことがという考え方です。
強いとは『あるべき姿でいること』です。
例を挙げると選手として皆さんを見た時にあるべき姿とは勝つことです。
勝った者が強いと言えます。
しかし人間としてどうかというとまた別の話です。
そして人間が先です。人間が最も重要です。
あるべき姿が何なのかは状況によって変わります。
何と決めることは難しいですが、
あるべき姿の方が何を持っているかは知っています。
それは『感謝・敬意・反省』です。
これを身に付けるには前述の行いには心が伴うという考え方から、
どのような行いをすれば良いでしょう。
感謝は”ありがとう”、敬意は”挨拶と返事”、反省は”ごめんなさい”です。
これらは伝える機会に気付かなければなりません。
その方法として真逆のことを知っておくとよいと思います。
感謝の反対は”当たり前”です。
今日大会があることが当たり前でしょうか?
保護者様が車で送ってくれることが当たり前でしょうか?
家でご飯が出てくることが当たり前でしょうか?
そう考えることで感謝できるかも知れません。
敬意の反対は”無視”です。反省の反対は”人のせい”です。
自分がそうしていないかと考えることで機会は増えていきます。
今日は少し応用として感謝・敬意・反省にもレベルがあるという話をさせていただきます。
例えば感謝についてですが、
欲しいものをいただいた時、当然感謝できると思います。
しかし物事が上手く行かない時に嫌なことと捉えず、
自分をプラスに変えてくれる機会だと捉えて
その機会に感謝できるかどうかは難しい話だと思います。
しかしそこにレベルの違いがあると思います。
難しい状況においても感謝できる人はより成長が見込めると思います。
ではどうすればそうなれるのかというと
一つの方法としてなりたい自分を持つことです。
目標と言っても良いと思います。
そうすることで一つ一つの出来事が意味を持つようになります。
例えば今日の勝ち負けも勝って嬉しい、負けて悔しい、
それで終わる人もいればその出来事について反省して次に繋げる方もいると思います。
もちろんなりたい自分を持っている方は次に繋げるでしょう。
その結果として自分が成長できたのであれば例え負けたとしても
その出来事に感謝できるようになります。
そう実感することで困難に対しても自分を変えるために必要なことと捉えるようになります。
敬意についても同じです。
なりたい自分を持っている方は誰からも学ぶ姿勢があります。
人と比べている場合ではありません。
自分がどこまで行きたいのか、遠くであればあるほどより多くを学ばなければなりません。
この人は上だ、この人は下だという考え方は無くなっていきます。
誰にでも敬意をもって接するようになっていきます。
皆さんは好きなことをやっていると思いますので
遠慮なく、なりたい自分を描いて欲しいと思います。
今日一番お伝えしたいことは
なりたい自分に向かっていく過程であなたはどんどん強くなりますよということです。
皆さんがなりたい自分になれますようにというのがこの組織の願いであります。
それをお伝えして今日の開会の挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。
2023 年7 月30 日
㈳日本ITF テコンドー協会
理事長岸玄二
第21 回愛知県テコンドー選手権大会にて
『挨拶について』
おはようございます。
大会の開催にあたり、実行委員長の神吉実行委員長、
並びにご協力いただいていますスタッフの皆さま、
皆様のご尽力があって大会を開催することができます。
とても感謝しております。
ありがとうございます。
今日も心の在り方についてお話をさせていただこうと思います。
皆さん挨拶はできますか?
挨拶は大事だと思いますか?大事だと思う方は小さくで良いので手を上げてください。
(過半数が手を上げる。)
では嫌いな人に挨拶できますか?
今日は基本的なことですが挨拶についてのお話です。
大事かどうかと言いますと、どちらでも良いです。
それはあなたがどう生きていきたいのかということによって決まってきます。
我々がテコンドーを通じて何を教えたいのかと言いますと、
あなたは変われることを教えたいと思っています。
もっと言えば正しい自分の変え方を教えたいと思っています。
そのために必要な考え方が3つあります。
その考え方を元に挨拶の必要性についてご説明させていただきます。
まず一つ目の考え方からご説明いたします。
『行いには心が伴う』という考え方です。
一般的な人間の行動は心から行動が生まれます。
例えばやる気になったから勉強をする、などです。
しかし我々は行いを繰り返すことでそれに伴う心を身に付けようとしています。
例えば道場においてなぜ道着を正しく着るのでしょうか、
礼を正しく整った形で行うのでしょうか。
それは整った行いを繰り返すことで整った心を身に付けようということです。
では挨拶はどのように行うべきでしょうか?
自分がどのようになりたいのかを考えれば良いかと思います。
元気な挨拶は心も元気な人へと変えていくでしょう。
人間が試されるのは上手くいかない時です。
上手くいかない時にその物事をどう捉えるか、
前向きに捉えるのか、後ろ向きに捉えるのかで
あなたの人生は大きく変わることでしょう。
ここまでは子供にも分かるようにお伝えさせていただきました。
ここからは少し難しいので大人向けのお話になります。
次の考え方ですが、人間とは何かという考え方です。
皆さんは好きな人、嫌いな人、あると思います。
しかしそれはあなたが好きだと思いたいから好きに見て、
嫌いと思いたいから嫌いと見ているだけです。
ものの見方によって世界の見え方は大きく異なります。
私の考え方は人間とは人の形をした鏡だという考え方です。
例えば指導者に対してよくお伝えさせていただくのですが
練習中にダラダラしている方やお話を聞いていない方がいるとしましょう。
テコンドーに限らず指導者と言われる方は
強い口調でダラダラしないように、しっかりと話を聞くように指導するかもしれません。
それはそれで良いこととも言えます。当然のことです。
しかしテコンドーを通して”変われる”ことを教えたいと思う中で、
この行いは相手を変えているだけということになります。
しかし相手の姿が映しだされた自分と捉えることで物事がどう見えるかと言いますと、
単純に自分がつまらない人間なんだというだけです。
自分の指導がつまらないから相手がダラダラしているというだけです。
なので目の前の状況を変えようと思うのであれば自分自身を変えるしかありません。
では挨拶からその人の何が分かるかと言いますと、
相手との向き合い方が分かります。
その人とどう向き合っているのかということです。
ここで先ほどの鏡の考え方を入れてものごとを見てみると
どういうことが言えるでしょうか。
それはそのまま自分自身との向き合い方が分かるという事です。
冒頭に”嫌いな人に挨拶できますか?”と伺いましたが、
出来ないということはどういったことが言えるでしょうか。
それは自分の嫌な所は見ないという事です。
そうなると例えば自分が人に認められたいと思った時に
自分の良いところを大きく見せたり、
逆に上手くいかない時には自分のことを棚に上げて
相手のいないところで言いたい放題ということが起きやすくなっていきます。
本来であれば自分の悪いところに気付き、
それを改善していくことがあるべき姿のはずです。
最初に戻りまして挨拶が大事であるかどうか、
それはあなたがなりたい自分というものを持って
それに変わろうとしているかどうか次第です。
この組織が何を願っているかと言いますと、
皆さんがなりたい自分になれますようにと願っています。
そして私はその組織の代表として
皆さんに必要であろうことを渡していけたらと思っています。
一度自分がどうなりたいのか?
どう生きていきたいのかを考えた上で、
必要だと思えば
是非取り入れてみてください。
私からは以上です。
ありがとうございました。
2023 年6 月25 日
㈳日本ITF テコンドー協会
理事長岸玄二
第27 回東海テコンドー選手権大会にて
『人と比べないこと』
おはようございます。
本日も心のあり方についてお話をさせていただきます。
ちょうど桜が咲いていますので、そこから話をしていこうと思います。
皆さん桜は好きですか?
春になると当たり前のように咲いてくれるのですが、
これは当たり前でしょうか?
私はこの様を見てすごいことだなと思っています。
自分に当てはめてみてください。
冬の寒い中で雨風に晒されて、腐ってしまいそうなものですが
温かくなると必ず花を咲かせます。
これをどう見るべきかと言いますと
冬の寒い中でも花を咲かそうと努力していたと見るべきだと思います。
ではこれを人間に当てはめると
上手くいかない時も努力を止めないということだと思います。
なぜ努力を止めないのかというと目的があるからです。
なぜ努力を止めてしまうのかというと
目的を見失い、なぜこんなことをやっているのだろうとなってしまうからです。
人間だけが目的を見失いがちです。
理由はというと、人間は良くも悪くも豊かです。
選択肢があります。
だからこそ今日練習に行きたくないなと思えば休むこともできます。
違う事をやろうと思えば違うこともやれます。
もう一つの理由は人と比べるからです。
今日はこの人と比べないことについてお話をしていこうと思います。
去年とある大会後に指導員からある報告を受けました。
私の道場の子供が初めて大会に参加しましたのですが、
結果は負けたそうです。
その後やる気を失ってテコンドーを辞めてしまったという内容でした。
試合では勝つことを目的に戦っていますので負けて落ち込む気持ちは分かります。
しかしながら辞めることを選ぶのは悲しい話です。
勝ち負けとは人と比べた結果ですが、
それが全てになってしまう理由には目の前のことに囚われすぎる点があります。
目の前のことが全てになると人は人と比べるものです。
そうならないためにどうすれば良いかというと
“なりたい自分”というものを持つことです。
そうすることで今日の出来事は全てが通過点になります。
勝ち負けもただの結果ではなく、それ以上の意味を持つことになります。
どういうことかというと、
私は常々『人間とは鏡』だという考え方を大切にしています。
今日の試合でも皆さんは相手と向き合う事で色々な自分を見ることになります。
なりたい自分を持っている人は
今日映しだされた自分に対してなりたい自分とのズレを認識して
どう変えていけば良いのかと考えるようになります。
例えば試合前に緊張してしまった、
緊張することがなりない自分なのかというとそうでは無いはずです。
次の試合でどのように自分を作れば良いのかを考えるでしょう。
試合中にも様々なミスをします。
それを確認して次はどう改善すればよいかを考えるでしょう。
そうすることで人は反省をします。
また対戦相手にも自分を映しだしてくれたことに対して感謝もできるかも知れません。
しかしこの“なりたい自分”が無いと
勝つことが全てになった状態で負けると自分に失望してしまいます。
勝ったとしても奢り高ぶるかも知れません。
“どうなりたいの?”これは人生において一番大事な質問です。
小学生くらいであれば1年後、2年後くらいで良いと思います。
もう少し歳を重ねれば5年後、10年後を、
更に歳を重ねれば”自分が人生において何を成すのか?”という質問になります。
この一番大事な質問に向き合ってほしいと思います。
出来れば一言で言い表せるくらい自分の姿を明確にすると良いと思います。
明確な目的地は明確な行動を生みます。“世界チャンピオン”でも良いでしょう。
非常に分かりやすいです。
自分を例に挙げさせていただきますと、
私はこの組織のリーダーです。
この組織の行き先について明確に示す必要があります。
テコンドーをどうしたいのか?
去年の新人戦の時に述べさせていただきました
『日本で一番人に必要とされる武道にする』ことです。
この目的地に対して私は一切ブレません。そこに集中しています。
だからこそ人が言う事などは全く気になりません。
皆さんも生きていれば周りからこういわれているんじゃないか、
あいつがこんなこと言ってたよ、など周りのことを気にすることがあると思います。
生きていれば自分以外が自分を乱してくるものです。
しかしそれにのまれてしまえば自分として生きていくことができなくなります。
目的に集中するからこそ、自分として自分らしく生きることができると思います。
“なりたい自分”とは未来の自分であり、目に見えません。
だからこそ想像力を働かせて、人と比べずになりたい自分を描いて欲しいと思います。
その”自分”に集中して努力を続けて欲しいと思います。
ありがとうございました。
2023 年3 月26 日
㈳日本ITF テコンドー協会
理事長岸玄二
第27 回岐阜県テコンドー選手権大会にて
『成長するために必要なこと』
おはようございます。
今日も心のあり方についてお話をさせていただきます。
まず強いとはどういうことでしょうか?
皆さん強くなりたいですか?
では強いということを正しく理解する必要があります。
強いとはあるべき姿でいることです。
私は昇段審査のたびに強いとはどういうことか?という質問をさせていただきます。
回答としては優しさや謙虚さといった回答があります。
それもあるべき姿と言えるでしょう。
素晴らしい心のあり方です。
私個人としては人としてあるべき姿は主に3つだと考えています。
一つは感謝、
二つ目に敬意、
最後に反省です。
簡単に言えばありがとうが言えるか、挨拶ができるか、
ごめんなさいが言えるかということです。
私はこの3つあれば人として問題無いと思いますし、
逆にこの3つ以外は持たないように努めています。
怒りだとか妬みだとか、人間である以上、時には持ってしまうのですが
できるだけ物事をこの3つに変換できるように見ています。
ではこの3つの内で一番大切なものは何か考えてみます。
私は敬意だと考えています。
理由はというと、
例えばあなたが誰かに指摘を受けた時に、
ありがとうと思えるのかうるせーなと思うのか、
例えばあなたが街で肩がぶつかった時に
ごめんなさいと言えるかなんだこのやろーと思うのか、
どちらが敬意がある思考かは説明するまでもありませんが、
敬意があるからこそ感謝や反省が促されると思います。
これが私が敬意が最も大事だと思う理由の一つです。
次に人間とはどういう生き物がというお話をさせていただきます。
人間とはどういう生き物かというと、
誰もが常に自分を良くしていこうと思っている生き物です。
例外なくそういう力が働いている素晴らしい生き物です。
しかしこの先のどのようにそれを実現するかという部分で人間は二つに分かれます。
一つは目標をもって努力をする自分を変えようとする方、
もう一つは相手を変えようとする方です。
相手を変えようとする方は
相手によく見られたいと思った時に自分を大きく見せようとします。
時には人と比べて相手を下げることもあります。
敬意が無い場合は人を軽んじて下げがちです。
そうなると自分を変えようとすることが無くなります。
自分を変えようと努力することの根底にあるものは他者への敬意だという事です。
他者を認めるからこそ変えようとしないということです。
次に敬意というものを考えてみましょう。
皆さんは先生たちに挨拶できますか?
できる方は敬意があるかというと、それも敬意の一部です。
先生たちに挨拶をする時にあるものは尊敬が当てはまるかと思います。
尊敬とは目上の方に対する思いです。
しかし敬意とは分け隔てなく誰にでも払われるものです。
もちろん目下の方にも払うべきものです。
敬意とはあなたが人間というものをどのように扱っているのかという基本的な部分です。
皆さんは目下の方にも挨拶ができますか?
極論行ってしまえば目下の者をどうあつかっているかで
敬意があるかどうかが分かりやすいです。
上に立つとある程度のわがままが通ってしまいます。
敬意を払わなくても物事が上手く進みます。
しかしながらそういったことに甘んじずに
誰にでも敬意を払い続けている方は強いなと思います。
最後にどのように敬意を身に付けるのかということですが、
皆さんは道場において道着を正しく着たり、
礼を正しく行うことを大切にしていると思います。
なぜ”テコン”と言って礼をするのか?
それに答えるにはある考え方が必要です。
それは”行いには心が伴う”という考え方です。
礼とは作法です。
作法とはその行いを正しく整った形で行うことに意味があります。
その行いを繰り返すことでその心を身に付けようとするものです。
行いから心を作り上げることが”道”と名の付くものに共通している部分だと思います。
では敬意ある行うとは何かと考えると、
まずは挨拶です。
分け隔てなく皆さんに挨拶できるように心がけてください。
挨拶が難しい状況もあります。
相手が遠くにいたり、周りの人が挨拶しなかったりと。
そういった時は会釈をしましょう。
何もしないという事が一番良くないことです。
それは悪く言えば無視です。
簡単に言えば敬意の逆は無視です。
また返事も大切です。
道場で指導員から何かの指示が出て、
理解した時は”ハイ”と返事をしましょう。
相手と繋がることが敬意の基本です。
身近なところで言えば皆さんは家に帰ったらお父さんお母さんがご飯を作ってくれます。
もし美味しいと思ったら”美味しい”と伝えてください。
黙って食べることはある意味無視と言えますね。
こういった敬意の上に皆さんの技術や強靭な体、経験などを乗せて行って欲しいと思い
ます。
そういって出来上がる人間はかっこいいと思います。
今日から今年の試合が始まりますが、
敬意というものを大切に頑張っていただきたいと思っています。
ありがとうございました。
2023 年2 月5 日
(社)日本ITF テコンドー協会理事長岸玄二
第20 回東京都テコンドー選手権大会にて
『礼儀とは』
おはようございます。
本日も心のあり方についてお話させていただきます。
皆さんは礼儀とは何かご存知でしょうか?
物事は一言で言い表せなければ理解しているとは言いません。
礼儀とは?という問いに一言で答えることができるでしょうか。
中々難しいと思います。
私は少し前まで礼儀とは『敬意を伝えるための作法』と考えていました。
しかしながら道場において正しく礼が出来る者、挨拶が出来る者が周囲の方から”礼儀
正しい人”という評価を受けているかというと、そうではありません。
私の理解に誤りがあると思わされます。
そこで今日は礼儀について考えてみたいと思います。
まず漢字の成り立ちから考えてみます。
『礼』とは作法を表します。では『儀』とは何でしょうか。
簡単に言いますと『儀』とは”正しさ”です。
次に実際の例を挙げてみましょう。
皆さんは出稽古に行くことはあるでしょうか?
その時にまず相手の道場の道場長に許可をいただくと思います。
許可をいただいたら出稽古に行けるというわけです。
しかしこのプロセスには”礼儀正しくない”部分があります。
それは自分の先生への配慮です。
先生は道場生に対して思い入れがあります。
その先生に対して何も断らずに出稽古に行くことは正しいあり方でしょうか。
自分の先生に対しても許可をいただくことは必要かと思います。
実際にこのプロセスを怠り、揉め事に発展した例もあります。
無断で行かれては不快に思うのは当然かと思います。
別の例として今皆さんは整列しています。
その肯定においてお喋りをしながら並ぶことはどうでしょうか?
いくら道場で礼儀作法を正しく行っていてもその方は”礼儀正しくない”となってしまいます。
この場合ですと運営側への配慮が足りないと思われます。
速やかに指示に従い、大会運営を円滑に行っていただく配慮が必要です。
またこれが有段者であればどうでしょう。
”段位”とは協会から授かるものです。そこには一定の思いがあります。
有段者としてふさわしいあり方を協会として願っています。
この場合は協会に対しての配慮が足りないと言えます。
ここまでのことから礼儀というものを考えてみると
礼儀とは『人と正しく繋がること』と思えてきます。
自分と繋がっている人に対して正しくいられることが礼儀正しいということではないでしょか。
では”何”で繋がるべきでしょうか。
それは”感謝”と”敬意”です。この2つが無い者に礼儀は身に付きません。
では感謝と敬意の心を身に付けるにはどうすればよいのか。
それに対して2つ提案させていただきたいと思います。
一つはまず気付くことです。
人間とは気付くか気付かないかで大きく人生は変わってきます。
まず感謝について、自分が感謝することができるということを気付くには真逆を知ると良いと思います。
感謝の対義語となると”怨嗟”などが出てきますが、それによって気付くかというと気付きません。
もっと実用的な部分で提案させていただくと、感謝の反対は”当たり前”です。
皆さんは今大会に参加していますが、大会があることは当たり前でしょうか?
今日参加するためにお金を支払っていますが、それをお父さんお母さんが支払うことは当たり前でしょうか?
家に帰れば風呂もあり、ご飯も出てくるでしょうがそれはどうでしょう?
感謝できることはどんどん見えてくると思います。
次に敬意について、こちらも敬意が失われる時を知ることで敬意に気付けるかも知れません。
敬意が失われる時は”自分が大きくなったとき”です。
例を上げると先日ヨーロッパ選手権が開催されました。
その中で優勝した選手が国旗を持ってコート内を走り回っています。
嬉しいのでしょうがまだ相手選手がコート内にいます。
審判と本部席が何か話をしているようですがその間を横切っています。
嬉しいのは分かるのですが相手への、そして審判への敬意に欠けるのではと思い見ておりました。
この場合は”嬉しい”が大きくなりすぎて敬意を欠く結果となったわけです。
先ほどの整列中のお喋りも同じことです。喋りたい欲が大きくなり敬意を欠く結果となります。
自分の感情が大きくなった時、改めて自分を見れると良いですね。
二つ目は実際に行動することです。
いつもお伝えしております、武道を学ぶ上で重要な考え方の一つは”行いには心が伴う”という考え方です。
我々は道場にて正しい行い、整った行いを繰り返すことで整った心を作り上げていきます。
この場合ですと感謝は”ありがとう”が言えるかどうか、
敬意は返事を”ハイ”と言えるか、頭を下げることができるか、
その行いを繰り返すことと言えます。
何事も本質を捉えなければ、うわべだけのものになってしまいます。
礼儀とは”感謝”と”敬意”の心があって始めて身に付きます。
本日は当団体の大きな価値観であります礼儀についてお伝えさせていただきました。
ありがとうございました。
2022 年5 月15 日
(社)日本ITF テコンドー協会理事長岸玄二
第8 回三重県テコンドー選手権大会にて
『強いとは』
おはようございます。
本日も心のあり方についてお話をさせていただきます。
武道を学ぶ上で大事な考え方が3つあるとお伝えしております。
今日はその内の一つ、
強いとはどういうことなのかという考え方についてお伝えしたいと思います。
今戦争が行われています。ロシアとウクライナの間で争いが起きています。
ここでご質問させていただきたいのがどちらが強いと思いますか?
この答えはあなたが持っている強いとはどういうことかという考え方によって決まります。
強いとはどういうことかというと、強いとは”あるべき姿でいること”です。
私たちが知りえる情報はあくまでも表面的なものであったり、片側一方の主張であったりと偏りが必ずあるものです。なのであくまでも見えている部分で判断をすると、力を持ったロシアがウクライナに自分たちの言うことを聞きなさいと強要している様に見えます。
これは”あるべき姿”でしょうか?
私にはあるべき姿ではないように思えます。よってロシアは”弱い”ということです。
次に強さとは何なのかということを考えてみます。
強いかどうかが問われるのは物事が上手くいかない時です。上手くいっている時は上手くいっているのですから問題になりません。
今回の戦争についてあくまでも私たちが知りえる情報から察するに、お互いの交渉が上手くいかず、ロシアが武力をもってウクライナに言う通りにしなさいとしています。
これがどういうことかというと、ロシアは自分が悪くない、悪いのは相手だ、としています。ここから弱さが何なのかが見えてきます。弱さとは”自分”です。
上手くいかない時にこの”自分”を大事にしてしまうとあるべき姿から遠ざかっていきます。自分ではなく、相手を変えようとします。
日常においてもこれはよくあることです。相手が気に入らないからといって自分の周りの人にも同じように相手を悪く見るように仕向ける、これを悪口と言いますね。
今回の戦争にしても、日常の悪口にしても、ものの本質は変わりません。思い通りに行かない憤りを相手を変えることで解決しようとしているという事です。
一方のウクライナを見てみましょう。彼らが何のために戦っているのかというと、テレビのインタビューを見る限りでは、平和のため、祖国のため、家族のために戦っていると答えています。このことを見ていると何が強さなのかが見えてきます。
弱さが”自分”に対して、強さとは人それぞれですが”自分以外の何か”であることは間違いないでしょう。強さとは何があなたを強くするのかということです。それは大切な人であったり、大切にしている考え方であったり、色々考えられます。
ここまでのお話から今日一番お伝えしたいことは、強くなるために相手を大事にしようねということです。
ここで日常で心がけることが出来る習慣があります。
それは”感謝”と”敬意”です。
日ごろからありがとうを言っていたり、礼儀を大切にしていたりとしている方もみえるかと思いますが、一日の中でありがとうと思える機会は1回でも多い方が良いです。そのようになるためのものの見方を紹介します。
先ほど強さと弱さの両方を考えることである程度の理解が出来たかと思いますので、今回は感謝の反対も考えたいと思います。
感謝の対義語は?というと怨嗟などが考えられます。これは言葉の上での話であって、思考の上では別の考え方が必要です。ここでは感謝の反対を”当たり前”と考えてください。
例えば子供たちは今日朝ご飯を食べたと思いますが、朝ご飯が用意されることは当たり前でしょうか?
今日試合会場まで両親に送ってもらったと思いますが、それは当たり前でしょうか?
大会があることは?皆さんと競い合えることは?
皆さん恐らく”当たり前”になっていると思います。それが悪いとは言いません。人間とはそういうものですので、普通というだけです。
皆さんは気付かないうちに色々なもの、色々なことをいただいています。それに気付かないだけです。
自分が如何に色々といただいているかを気付くために、この”感謝”の反対は”当たり前”というものの見方をしてはいかがかと思います。
感謝する機会とは実は多くあり、それに気付かないだけです。
人間の心は一日一日の積み重ねによって作られていきます。一日一日の心への働きかけは非常に微々たるものです。しかしそれが10年ほどかけて確実に作られていきます。いくら組手が強くなろうと感謝や敬意の無い者が人として強くなることはあり得ません。何気ない日々の習慣こそ大切にしてみてください。
今日お伝えしたことは、”強い”とは”あるべき姿でいること”、そして強くなるには相
手を大事にすることです。
以上です。ありがとうございました。
2022 年 3 月 20 日
(社)日本ITF テコンドー協会理事長岸玄二
第 25 回岐阜県テコンドー選手権大会にて
『組織の方向性について』
おはようございます。
協会としてコロナ禍後としては初めての大会を開催することになりました。
このような状況の中でご協力いただけるスタッフの皆様には大変感謝をしております。
ありがとうございます。
賛否両論ある中で大会を開催するのは指導の現場で特に子供たちを指導させていただいて
いると、やる気の火がどんどん消えていってしまう様を目の当たりにします。
そういった中で大会の開催は必要と判断をし、今に至ります。
考え方として世界は変わってしまったということです。元には戻らないと考えた方が良い
ということです。その中で自分たちも変わる必要があるというだけの事です。
大会開催に際して必要な制限を設け、始めは厳しめではありますが、徐々に緩和していき
ます。
今回初めてという事で、心苦しいのですが遠方からお越しの方はお車での移動をお願いい
たしました。しかしながらスタッフ様の安全性に対してのご理解と同意が得られなければ
大会の開催は出来ません。何卒ご理解のほど、よろしくお願いします。
今後も大会を開催していきますが、我々がコロナ対策で最も重きを置いている部分はワク
チンでもなく薬でもなく信頼関係だという事を念頭に置いていただきたい。
自ら制限するところはしっかりと制限し、楽しむところはしっかりと楽しむ。今後もその
ようにやっていきたいと思います。
さて本日も皆さんの心のあり方についてお話をさせていただきます。
先日ですがある大学生とお話をしていまして、皆さんが楽しく談話をされる中で、真剣な
顔で何やら相談事を持ちかけられました。
詳細は覚えていないのですが、何やら塾の先生をしていて、生徒に対して憤りを感じる部
分があるような感じだったと記憶しております。
その中で彼が言ったことに『大事なことは尊重することですよね』という言葉がありまし
た。
正直すごいなあと思います。二十歳そこそこの方が尊重という言葉を使うんだなと。
それ対して考えない方は一生考えないと思います。それくらい普段使わない言葉です。
そこで話を進めてみたのですが、『では憤りを感じる方に対しても尊重しないと』という話
をした時に『そーなんですか?』という言葉が返ってきまして、それでは意味が無いねと
いう話になりました。
皆さんは腹が立つ相手に対して、憤りを感じる相手に対して尊重出来ますか?
尊重するということは簡単に言いますと”あなたはそれでいいですよ”ということです。
しかしそれをすると自分の中にあるイライラなどは消えません。だからこそ難しいと思い
ます。通常ですと愚痴を言ったり運動をしたりして発散するところです。
ここで尊重することの意義について考えてみると、”あなたはそれでいいですよ”とすると
いうことは自分の中にある憤りに対して自分で解決する必要があります。もちろん前述の
通り、愚痴や運動などで発散することも手段と一つですが、最も良いのが”自分が変わる”
ことです。
”あなたはそれでいいですよ”と出来るから”自分が変わるから”という発想になります。
つまり変われる人であるか変われない人であるかということを決めるということです。
では変われるか変われないかという部分を考えますと、例えばあなたが粘土だったとして、
ある器に入らなければならないとしましょう。その時に硬い粘土は頑張って形を変えなが
ら入っていくことになります。また器にも大変な負荷がかかります。これを人間に戻すと
どちらも痛い思いをするということです。
これが粘土ではなく水だったとしたらすんなりと形を変えて器のに収まります。
簡単に言いますと、自分が変われなければ物事が上手くいきませんよということです。
しかし腹が立つ相手を”あなたはそれでいいですよ”とするのは難しい話ですし、腹が立
つ相手に対して自分がわざわざ変わらなければならないのは非常に難しいことです。
ここで必要になるのが”考え方”というものです。この”考え方”とは自分がどのように
世界を、物事を見るのかを決めるものです。
私が武道を行う上で大切にしている考え方が3つあります。
その中でも一番大切にしているのが”人間とは何か”というものです。
皆さんならどのように答えますか?生き物ですでも正解です。
私は鏡だと思っています。人間とは人の形をした鏡だというのが私の一番大切な考え方で
す。
常にそのように見るわけでは無いのですが、自分にストレスがかかった時にはそのように
見るようにしています。物事をそのまま見てしまっては誰でも腹を立てることもあります。
そうならないように物事を置き換えて見るということです。
例えば朝起きて鏡で自分の顔を見た時にひどい寝癖が付いている、目ヤニが溜まっている、
眠そうな顔をしているとして、それが嫌だから身なりを整えます。誰も鏡が悪いとして鏡
を割りにいったり、もっと違った映し方をしろと鏡に求めることはしないと思います。
鏡に置き換えてみることで自分が変わるという方向に向きやすくなります。それは映しだ
された自分自身ということです。相手を否定するという事は自分を否定することと同じで
す。
相手越しにしか自分の姿は見えてはきません。自分で見た自分など、自分のことを見たい
ように見ていますのでどこが都合の良い自分になってしまいます。映しだされた自分を真
摯に受けとめて、自分を変えていくことこそが人間としての成長だと思います。
最後に皆さんは鏡にどのように映しだされたいでしょうか?
当然ですがより良く映しだされたいと思います。あなたがより良い自分に変わることが出
来れば、今笑顔で無い方も笑顔になると思います。
だから私はテコンドーで人を笑顔にしていきたいと思っています。
それが自分の人間としての成長になるからです。同然組織の成長にもなります。
私はこの武道を広く普及していきたいと思っています。
それが自分の人間としての挑戦であり組織としての挑戦です。
私自身も鏡ですので相手を笑顔にすることで自分も笑顔になれます。自分が自分がと言わ
ずにまず相手のことを優先して、その結果として自分も笑顔になれる、そういう生き方を
伝えていくためにテコンドーを教えています。
本日お時間をいただきお話させていただいたのは、世界が変わっていく中で協会としての
活動を再開していくにあたり、今この組織のリーダーが何を考えているのかは知っておい
て欲しいと思いお話をさせていただきました。
私からは以上です。ありがとうございました。
2021 年11 月20 日
㈳日本ITF テコンドー協会理事長岸玄二
第13 回全国新人戦にて
『礼儀について』
皆さん、おはようございます。
本日も心のあり方についてお話をさせていただきます。何かのヒントになれば幸いです。
本日は礼儀についてのお話をさせていただきます。皆さん礼儀は大事にしていますか?
なぜ礼儀を大事にするべきなのかというお話です。
そもそも礼儀とは何か?一般的な回答としては”人間関係の基本です”という回答があ
ります。しかし人間関係の基本と言われても、雰囲気は伝わりますがよく分からない部分
もあると思います。
分かりやすくするために一つの例を考えてみましょう。あなたがお店に入って欲しいも
のがあったとするとどうしますか?”欲しい”と思ってその物を持って行ってしまっては
これはいわゆる万引きですね。絶対にやってはいけません。欲しいと思ったものはお金を
お渡しして受け取るものです。
基本的にはこれと同じことです。あなたが相手に対して何かをお願いする時に、『おい!
これやっとけ』と言うのか、『こちらの案件お願いできますか?』と言うのかで結果は全然
違ってきます。
まず”与えること”です。それに対して”受け取る”ことです。これが基本です。これ
はビジネスにも同じことが言えます。相手に対してサービスを提供して、その対価として
お金をいただきます。これを人間関係に当てはめると与えるものが礼儀だということです。
礼儀というものは友達関係には必要ありません。友達関係というものは”合う・合わな
い”の世界です。性格などが合えば気兼ね無く付き合い、合わなければ接さなければ良い
だけのことです。礼儀が必要になるのは”人間付き合い”をする時です。どういった場合
かというと、一つの目的の元に人が集まる時です。この場合は”合う・合わない”ではあ
りません。皆が目的を達成するために同じ方向に動き出します。簡単に言えば道場がそれ
に当たります。テコンドーをやるという目的のもとで人が集まりますね。会社も同じこと
です。こういった場では礼儀が必要になります。若いころからこういった場に身を置き、
礼儀を学ぶことはとても意味のあることです。
しかし『そのなのめんどくせー』という方も当然いらっしゃると思います。それはそれ
で良いでしょう。礼儀が必要ないところで生活していけば良いだけです。ただし礼儀が必
要な場で礼儀を払わないことがどうなっていくのかということを武道の考え方を元に考え
てみましょう。
武道を学ぶ上で重要な考え方が2つあります。
一つは”強い”とはどういうことか。それは”あるべき姿でいること”です。
二つ目は”行いには心が伴う”ということです。
ここでは二つ目を元に考えてみます。我々がなぜ道着を整えるのか、礼という作法を正
しく行うのか。行いを整えることで心を整えるという考え方です。行いの積み重ねによっ
て心を作り上げようということです。
では礼儀なんてめんどくせーという方が5年、10年と些細なことではありますが行い
を積み重ねた結果としてどうなるでしょう。恐らく相手の事を考えられなくなる方になる
と思います。そうなるのであれば礼儀を必要とする場所に身を置かない方が良いと思いま
す。
では逆に礼儀を大切にした方はどうなるでしょうか。逆に相手の事を考えれるようにな
ると思います。
相手の事を考えると言いますが、どういったことか説明したいと思います。
皆さん生活していると『自分があの人に嫌われているのでは』とか『今自分の悪口言わ
れているんだろうな』などと考えて落ち込むこともあると思います。しかしこれは自分の
事を考えている状態です。
相手の事を考える例として、例えばあなたが道場の指導者でいつもより元気の無い子が
いたとします。この時なぜ元気がないんだろうと、その子の周りの事を考えてみます。家
で何かあったのかな、学校で何かあったのかな、相手の見ている景色の中には当然あなた
自身もいます。
ではその子を何とか元気にしたいと思った時に、相手の景色の中で変えられる部分はど
こでしょうか。あなたがその子の家庭のことをどうにかすることも、学校のことをどうに
かすることもできません。変えられるのはあなた自身だけです。
相手のことを考えるとは相手の見ている景色を尊重すること、もし相手を良くしていこ
うと思うのであれば自分を変えることです。
礼儀とは何かというと相手のことを考えることであり、自分を変えるための習慣という
事です。自分がどうなりたいのかということをよく考えて、取り入れる必要があれば是非
取り入れてみてください。
2021 年10 月16 日
㈳日本ITF テコンドー協会理事長岸玄二
第24 回岐阜県テコンドー選手権大会にて
『なりたい自分を持つ大切さについて』
皆さん、おはようございます。
コロナ禍の中で大会を開催できることは大変ありがたいことだなと思います。
また、このような状況において大会運営にご協力いただけるスタッフたちには感謝と敬
意を表させていただきます。本当にありがとうございます。
現在中部テコンドー連盟では大会の運営指針というものに則って運営させていただいて
います。これは第一の目的として大会スタッフの安全の確保、安心して大会の運営に参画
していただけるようにするためのものです。
大会と言うものは選手ももちろん大事です。しかしながら運営するスタッフが集まらな
ければ大会そのものが開催できません。まず順序としてスタッフの安全確保であるという
事をご理解いただきたいと思います。その上で、大会スタッフにある程度の同意を得た上
で今回多少の緩和をした状態で運営をしていきます。具体的には前回は子供に同伴できる
ご家族様は1名でしたが、今回はご家族であれば何名でも可となっています。
今日はその指針を切り口に、心の在り方についてのお話をさせていただきます。
前回指針と言うものを公開して、様々な人間模様が私には見えました。厳しいくらいの
指針、それを厳しく運営されているスタッフたちを見て、安心して試合に参加することが
出来た、という嬉しいご意見もあり、また逆にスタッフたちの目をすり抜けて指針を守ら
ずに大会に参会してる者もいました。そういった方たちを見て、また話が回りまわって指
針を守っている方の耳に入り、これが苦情という形で私の所に届いたものもあります。
苦情の内容と言うのはごもっともなご意見です。特に小さいお子様がいらっしゃるご家
庭においては、小さい子を家で一人にするわけにはいかないので、大会の参加を断念され
た方もみえます。そういった方にとって、知っていたかどうかはさておき、指針を守らず
に小さい子を連れてきていたと聞けば、腹を立てるのも当然です。
この例に留まらず、指針を守っている方にとって、守っていない様は腹を立てて当然の
事だと思います。
私の耳に届いた以上は、その感情を尊重して何らかの対応は必要です。
指針を守らない方には大会に参加する資格は無いと、今後の大会への参加をお断りする
のが妥当かも知れません。
しかしながら私が長である限り、罰則は与えません。
理由は人間というものは関わり合って生きています。その人がその行動を起こすまでに
様々な方が関わり、色々はものから影響を受けてその行動を選択します。
よってその人ひとりの問題ではないという考え方を私は持っています。
前置きはここまでにして、本題に入ります。
『強い』とはどういうことでしょうか?
毎回お伝えしていますが、答えは『あるべき姿でいる』ということです。
ご質問させていただきます。指針を守った方は強いですか?弱いですか?
正解は強いだと思います。指針を守ることがあるべき姿だと思います。
では守らなかった人は?これは弱い人だと思います。
ここからが重要なのですが、では指針を守らなかった人を見て腹を立てた方は強いでし
ょうか?正解は弱い人です。
その人の感情を否定するわけではありません。ただ今お話させていただいている話は『強
い』ということを軸に話をさせていただいています。何が言いたいかと言いますと、強か
った人が弱くなってしまうのは損だと思いませんか?という話です。どうしたら強くいら
れるかという話を今からさせていただきます。
皆さんは人の有り様を見て腹を立てる人間になりたいですか?
答えはそうではないと思います。しかし人間はそういった部分も誰もが持っています。
ではそうならないために何が必要かというと『なりたい自分』です。自分が人間として
どうなりたいのか。それを持っているかということです。
これは多くの方は明確には持っていないと思います。だからこそ今に囚われてずっと腹
を立ててしまう。未来になりたい自分がある人にとって、現在とはただの現状で、ではそ
れと未来の自分との違いをどう変えていこうかという思考が働きます。
しかしなりたい自分が無いと、自分の過去に重きをおいて、現在との違いに腹を立てる
ことになりやすいです。
自分は指針を守ったという思いが強い人ほど、現在守っていない方に対して腹を立てる
のは仕方のないことです。しかし最も重きを置く部分は未来の自分であって、そうあって
こそ現在を前向きに捉えることが出来ます。
今回の私であれば、指針を守っていない方がいる光景は、私がその人たちにとって信頼
に足る人間ではなかったという、ただの結果です。岸の出している指針など守らなくても
いいだろうという結果だったというだけです。現状を受けとめて皆さんにとって信頼に足
る人間になれるように努力しようと思います。信頼に足る人間になることは、私のなりた
い自分の像に重なる部分がありますので。
生きていれば腹が立つこともあったり納得いかないこともあったりします。しかしその
たびに相手を変えようとしても変わりません。相手には相手に見えている景色があり、そ
れは自分とは違う景色で、その人にはその人でやりたいことがあります。なので相手に働
きかけて変えれたとしてもそれは一時の事です。本当に変えれるのは自分だけです。
始めに述べさせていただいた通り、人間というものは関わり合っていますので、あなた
が良い方向に変わることが、相手を良い方向へと変えることができる唯一の手段です。
あなたが何かしら問題に直面した時に、自分を変えることで解決していく。この組織は
そういった人の集まりであって欲しいと願っています。
2021 年7 月24 日
第25 回東海テコンドー選手権大会にて
『相手の事を考える』
おはようございます。
本日から1年の大会のスケジュールがスタートします。
それに際しまして、改めて『強い』とはどういうことかという事を伝えておきたいと思
います。
皆さん、強くなりたくて武道と関わっていると思います。なので『強い』ということが
どういうことなのかという事を正しく理解しておく必要があります。
『強い』ということについて、色々な考え方があると思います。その中で何が正しいと
いう気はありませんが、私は”あるべき姿でいること”を『強い』と定義しています。
その前提から、今日も人間についての話をさせていただこうと思います。
今日もみんなで大会という一つのものを作り上げています。そういった”みんなで行う
こと”の中で最もやってはいけないことは何でしょう?
数ある中で最も初歩的なことが『私語』です。
今日の大会は高校生の宇野弦汰指導員に大会の実行委員長を務めていただいています。
高校生という立場でこれだけのことを取り仕切ることは非常に大変なことだと思います。
しかしこういった中で人を動かす難しさであったり、人のせいに出来ない状況で自分がど
うするべきかを考える経験になればと任せています。
誰が実行委員長を務めているかという事はさておき、取り仕切る立場の者にとって、自
分勝手な行動をする者は、大変邪魔なものです。
しかし、それはこちら側(運営側)の話であって、私語をする方たちには関係のないこ
とです。運営側は嫌な思いをするかもしれませんが、私語をしている方たちには何の害も
ありません。
運営側としては予めそういう方がいるという事を理解して対処すれば良いだけのことで
す。
では私語をする側の方にとって、本当に害がないのかというと、そうではないという事
を今から話していきます。
私語をするという事はどういうことかというと、”相手(みんな)のことより自分のこと
を優先する”ということです。
ここで生きる上での大前提を説明しますと、世界いる人間があなた一人だったとしたら
どうですか?食べ物はあるとしましょう。テレビなどもあるとしましょう。しかし何をし
ますか?そこに生きる意味など無いと思います。自分以外の人がいて初めて人生に意味が
生まれます。
その上で相手の事よりも自分の事を優先して上手くいくでしょうか?
皆さんは今日朝起きてから鏡で自分の姿を見ましたか?私も1週間前に美容師にお任せ
で切っていただいた髪形が気に入らないので今日はよく見てきました。
形のあるものは鏡を見れば見ることが出来ます。しかし人間の心はそうはいきません。
ではどうすれば自分の心を見ることが出来るでしょうか?それは相手を見ることです。
自分を映しだすものはいつでも相手(自分以外の人)です。
自分を優先する習慣のある人は、自分の姿が見えなくなるという事です。
皆さんは顔に何がゴミなどが付いていたら取るでしょう。頭の上に鳩が乗っていたらど
うしますか?ズボンのチャックが開いていたら恥ずかしいので閉めるでしょう。
これは心にも同じことが言えます。気付けば人は直すことが出来るのです。しかし気付
かない人はそのまま生きていくことになります。
そしてそれは大なり小なり人間である以上、誰にでもあります。完全に自分の姿を見る
ことは出来ません。
だからこそ、人と関わる時は出来るだけ相手の事を、周りの人の事を考える習慣を持っ
た方が良いよというお話です。
㈳日本ITF テコンドー協会
理事長岸玄二
2020 年2 月23 日第18 回愛知県テコンドー選手権大会にて
『線を引くこと』
今日は道場で実践すべき基本的なことについてお話させていただきます。
私が大切にしてる基本的なことは3つです。
一つは明るい挨拶、もう一つは整えることです。いずれも『行いには心が伴う』という
私の武道論が元になっています。”行い”を変えることで”心”は変わります。どう生きて
いくべきなのかを考えると明るく前向きに生きるべきだと思います。そのために人との関
わり合いの基本となる挨拶は明るく行うべきです。たとえ気分が沈んでいたとしてもです。
沈んでいるから沈んだ行動をしていると、本当に沈んでしまいます。
また整えることが武道の基本です。礼を整える、これは作法です。道着を整える、言葉
を整える、型を整える。全ては心を整えるためです。
今日は最後の一つ、『線を引くこと』について掘り下げていきます。
線を引くという事は、『あなたと私は同じではない』ということです。しかし人間は同じ
になりたがります。なぜなら楽しいからです。分かりやすい例が”友達付き合い”です。
当然ですが、それはそれでとても大切なことです。生きるうえで友達は必要不可欠です。
しかし今テーマとしているのは武道を修練する上で何が必要かということです。修練する
という事は自分を成長させることが目的です。しかし友達付き合いで成長できるでしょう
か?それは難しいと思います。相手と自分の間に線を引き、”違い”を明確にさせてこそ、
”自分”も明確になり、これからの”なりたい自分”との違いも見えてきます。
つまり、線を引くことは”成長の条件”です。
では道場で”線を引くこと”を実践できることが何かを考えてみます。
それは『礼儀』です。目上の方に対して明確に線を引くことが出来ます。
道場のあり方も様々ですので、先生と練習生が友達関係に近いこともあるかと思います。
しかしそれを否定する気はありません。ただ目的と手段は合わせるべきだという事です。
成長を求めるのであれば礼儀をしっかりと実践するべきだと思います。礼儀とは堅苦し
いと思われがちですが、礼儀とは本来、日本人にとってカッコいいものです。この価値観
は広めていきたいと思っています。
最終的には成長するために、自分の中でも線を引く必要があります。ここまではOK、こ
こからはNG、どんどん自分の中に線を引いて、自分を制限していく必要があります。
水に例えると、同じ体積でも面積の広い皿に水を入れると水は横に広がります。逆に面
積の狭い筒のような容器に入れると水は高いところまで行きます。
人間も同じことだと思います。そして目に見える自分と相手の間に線を引けない者が、
目に見えない自分の中に線など引けるわけがありません。
成長を望むのであれば、まずは礼儀を道場で実践してみてください。
㈳日本ITF テコンドー協会
理事長岸玄二
2019 年9 月22 日第5 回関東大会にて
『物を大切にすること』
私が考える武道における精神性とは『行いには心が伴う』というものです。
これはいかなる行動にもそこには心が伴っているという事で、”行い”を変えることで
”心”を変えていくことが武道における精神性の修養だと考えます。武道を修練する目的
として私は『自分を(より良く)変えていく』ことが第一の目的であるべきだと考えてい
ます。テコンドーを通じて人をより良く育て、そしてそういった方達が社会に出ていくこ
とで社会をより良く変えていくことが私が本組織を運営する第一の目的であり目標です。
今日は物を大切にするということについての考え方を紹介します。
「家や学校で物を大切にするように教わりましたか?」という問いに対して、ほぼ全て
の子供たちが手を挙げてくれています。では「なぜですか?」という問いに対しては、あ
る程度の考えはあるようですが、声には出して説明は出来ないようです。
それはそれで当然のことで、子供に説明まで求めようとは思いません。
ただ数ある考え方の中で、こう考えてはどうかという考え方を紹介します。
”物”は言葉を発することは出来ません。なのであなたが練習道具のミットやグローブ
を投げたり、足で動かしても”物”は何も言いません。
しかしこれが”人”であったらどうでしょうか?動かしたいからといって投げたり足で
動かして良いでしょうか?それはダメに決まっています。
何が言いたいかというと”物”=”言葉を発さない人”。つまりは自分より立場が弱かっ
たり、力が弱かったりする人への対応を表しているという事です。
私も年齢も年齢ですので、偉そうなことは言えませんが、それでもそういった目線で多
くの”人”を見てきたつもりです。そうやって見ていると、上記の事は大体整合が取れて
います。物を雑に扱う方は、人の上に立つと目下の者に対して平気で心無い対応を見せた
りするものです。
物をどう扱うのかということは、多くの場合が”無意識”です。そして”習慣”です。
ここで知っておきたいことは、”習慣”というものが何を生み出すかという事です。
それは”考え方”を生み出します。
そして”考え方”が”行動”を生み出します。その”行動”が皆さん一人ひとりの人生
を作り上げていきます。
つまり、”無意識”に行っていることで、自分の人生が実が決まっていっている、変わっ
ていっているということです。
しかし誰もそのことには気付きません。なぜなら自分の無意識の心のあり方が自分の人
生の表舞台に出てくるまで10年かかるからです。なので1日1日の微量な変化には誰も
気付きません。
私が伝えたいことは、だからこそ”意識”をして自分の習慣を作る必要があるというこ
とです。今回のテーマで言えば、物を大切にできる人は、人(特に目下の者)を大切にで
きる心が身に付くという事です。
「習慣を作りなさい!」
と言う気はありません。自分がどうなりたいのか、どう生きていきたいのかを考えて行
動してみてください。
明るい挨拶は明るく前向きな心を作ります。整理整頓、整えることは自分の心を整えま
す。身の回りが散らかっていると、知らず知らずドタバタした毎日になっているでしょう。
”道場”とはより良い習慣を身に付ける場所でもあります。
”どう生きていきたいのか”に対して、より良い習慣を身に付けてはどうかと思います。
㈳日本ITF テコンドー協会
理事長岸玄二
2019 年8 月25 日第22 回岐阜県テコンドー選手権大会にて